2013.11.02 記

フラメンコ踊りをするひとだけじゃないけど、ひとはみんな自分を判断しながらいきてるよなあ。 反省とか、まだまだ駄目だとか、まあまあじゃなかったかな、とか。
しかしあなたが勝手に判断するんだから、正しくはないわな。

普段本なんてよまないのに、秋葉原駅の構内書店のカゴのなかに、ブッダのおしえ1日1話 てえ新書をふと手にしたら、

どこにも自分などいないのです、

という句がめに入った。
いいぞいいぞ。

皆さんの人生は徹底的に自分がテーマだよな。自分自分自分自分自分!自分らしい生き方。自分らしい表現。自分らしい踊り、、、。
自分て何よ。(笑)

自分と呼んでいるものは、歩く、しゃべる、寝る、考える、食べる、など無数の行為の連続なのです。どこにも自分などいないのです。
と来た。いいぞいいぞ。

これらの行為をそのまま行為として感じてみてください。なんの判断もせずに。 するといままでのわずらわしい人生の問題がいとも簡単に解けていきます。だと。

いや、ほんとそうだよ。そうなんだ。

自我というのは錯覚の産物です。

でもみんなは信じねえだろうなあ。人生の大テーマが自分だからね。自己の向上、とかね(笑)。

自我はないと発見したひとは、自然体で誰よりも最高のはたらきをしてみせるのです。
って俺のことだよ(笑)。

いや、威張って自慢してんじゃないの。 本当にそうなんだってば。

堀越さんてこれこれこう いうひとですよね、なんて言われると、えっ!他人からみると俺っているんだ、と思って驚くよ。
わしの肉体は無論存在しているわけだが、普段わしのテーマは自分じゃない。まさに、行為だけなんや。あれやりたい、これしよう、という事ばかり を考えてんの。自分についてなんて考える隙はない。暇もない。忙しいんだよ! まあ、世間からみたら、暇だろうけどな。

若いころてえのはまだ自分がめずらしいから、占いをみてもらったり、人生相談なんかしたり、星占い大好きやで。
しかしわしは19のあるひ、歴然と気付いた。 何もない!あるのは、息をしているおれがいま、ここにある、その事実だけだ!とな。それだけはとりあへず確かだ。あとは全部錯覚と幻だ、とな(笑)。
それはそうなんですけどお〜という気弱な声がきこえてくるよ。科学的事実を信じきれない、迷信と幻覚に住む者共め。科学的事実よりも社会的迷信を信じる者共め。馬鹿。
身を、科学的事実に投げ捨てられない者共よ。サルトルは、この投げ捨てを、投企 と言いました。 違うって? 知ったことかい!わしはサルトルじゃない。
おまえはだれだ!?

無我 だとわかれば、物事に好き嫌い、苦しい、大変だ、などなどはなくなります。
ときた。
そう、好き嫌いじゃない。美があるかないか。客観がくるようになるよ。

せめて、気づいておくれよ。

あたくしらしい表現、 あたしらしい踊り、 あたしらしい恋愛、 あたしらしい人生、あたしあたしあたし。
そんなものは存在しない!幻覚だ。そんなひまない! ひたすら目を開いて 良いもの、美しいもの、を世界の中 、宇宙の中に沢山探しなさい。早く早く美を発見しなさい。 アーメン、南無三、

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